ホーエルマルクトはローマ帝国時代の都市ヴィンドボナの廃墟の上に造られた。中世には ウィーン庶民の中心街であり手工業者の同業組合の建物が立ち並び栄えた。 1328-1839年までは重要な死刑執行地のひとつであった。
広場の真ん中に建つ、「婚姻の泉」のモチーフはイエス・キリストの両親マリアとヨゼフ。 1792年フィッシャー・フォン・エルラッハが白い大理石を用いて制作した。
有名なアンカー時計はユーゲントスタイル期フランツ・マッチにより造られた。 毎時間にひとりずつウィーンの歴史上有名な人物が音楽と共に橋を渡る。正午には12人全てが次々登場するので面白い。